2006/03/30
初のナンプレ世界大会、開催! 土肥編集長による緊急レポート
2006年3月9日~11日、イタリア中部の古都ルッカで開催された、世界で初めてのナンプレ国際大会。
日本は、全日本パズル選手権優勝者を中心にメンバーを選抜、不肖編集長もキャプテンとは名ばかり、ツアコン兼へっぽこカメラマンとして参加してきました。なんと世界22カ国からやってきた85名がナンプレを解きまくる。ついでに各国の報道陣も大集合で、世界的ブームをしみじみ実感。いやー楽しかったですよ!!!
選手権ナンプレは、『ナンプレファン』『ナンプレファンSpecial』に掲載するので、ぜひ挑戦してください。
1st World Sudoku Championship
Lucca, 9-11 March 2006

西尾徹也さん(東京都・51歳・パズル作家)
青木真一さん(愛知県・28歳・パズル作家)
円田洋一さん(東京都・40歳・大学講師)
土肥由美子(東京都・ふふっ?歳・パズル編集部編集長)







1日目、全8ラウンドで計38問を解きまくる。各国のTVクルーのカメラも回りっぱなし。













【おまけコラム】ナンプレ/Sudokuの由来
世界ではSudoku(数独)、日本ではナンプレ。同じパズルなのになぜ名前が違うのか、ご説明しましょう。
1980年代はじめ、西尾徹也さんがアメリカのクロス誌で、コレは面白いと見付けたのが、Number Place。これをより面白く美しく自作、つまりロジックの厳密性を高め、数字を対称に配置して新作を作り、本家に敬意を表し「ナンバープレース」という名前で雑誌『パズラー』に掲載した。それから早20年、もっと面白く難しくと、合体・大型・バラエティなど、日本のお家芸として、ナンプレは独自に発展していった。1998年には、専門誌『ナンプレファン』を創刊。他社も追随し、一気にナンプレ人口が増えた。
一方、ニコリというパズル出版社では同じパズルに数独(数字は独身に限る)と命名。主にシンプルなナンプレを広めていった。そして世紀末、パズルの面白さもさることながら、その“スドク”というエキゾチックな響きが、来日したパズル好きウェイン・グールド氏の心を捉え、パソコンでSudoku(スドク)作成ソフトを完成させると英国の新聞に売り込み、2004年11月から掲載が始まると、一気に欧米に広まっていったのだ。ファンが増えれば、バラエティナンプレの需要も増える。それらの考案者として、パズルマスター西尾徹也さんの名前も知られていったようです。といっても、もともとお絵かきロジックの考案者として既に知られていたワケですが。
しかし、今回イタリアでも、「ナンバープレース」という名前ではこんなブームにならなかっただろうと言われ、複雑な気分でございました。思い起こせば、九ちゃんの「スキヤキ」(「上を向いて歩こう」の海外での曲名)と同じかと…。

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